焼けるものときまつたからは、さて何を取り出すべきであらうか。自分にとつて、もつとも大切なもの……それは数限りないさまざまなものがあるが、しかし自分の一番心血をそそぎ、一番苦労をしたものを取出したい、と思つて、私は今までの縮図帖をとりまとめて風呂敷に包みました。
 縮図帖、これこそは私に取つて何物にもかへることの出来ない大切な宝でした。まだ幼い頃からの、さまざまな古名画を、それはそれは、なみなみならぬ苦労をして写し取つて置いたものでした。
 その時は幸ひ早く消しとめて、この家も類焼の厄にあはずにすみました。

   三

 四条に居た時分、私の十幾つ位のときで、まだ絵を習はなかつた時分に、南画を、文人画といつて四条派よりも狩野派よりも、さかんに世上にもてはやされて居りました。もつとも私の十二、三の頃に、すでに文人画がはやるのだといふことを、よく聞きおぼえて居ります。
 紅平の前にゐた頃、麩屋町の錦下るあたりに、さる旅館があつて、そこへ田能村直入さんが、自分の家のやうにして泊り込んで絵を描いてゐられた。大分長くそこに居られた。南画学校も出来た。